書くだけ書いて、

かわなべひろき、石井宏樹、島崎清大、鹿児島のソングライター3人による雑文集

天麩羅 ーかわなべひろきー

鍋の中でジュージュー騒ぎ立てる野菜を見ている。僕は今天麩羅を揚げている。季節の野菜やきのこ、エビやキビナゴなどの海産物も鍋の中で賑やか。

 

時に、この漢字表記の「天麩羅」の面構えをごらんなさい。パッと見ほぼ暴走族の名前のよう。字面だけで言えば、特攻服の背中に大きく記してあってもなんら違和感のない、「形としての迫力」がある。麩も羅も、かなりのヤンチャぶり。おまけに頭の天がスケール感を縁取ることでなんとも壮大な雰囲気。

それを踏まえてもう一度「天麩羅」。ね?めちゃめちゃコワモテじゃないの。ほぼヤーさんやん。道で見かけたら、絶対目を合わせないないように。

 

漢字って、画数が多いだけでどういうわけか、周りを威嚇するような迫力が出る。コワモテの不良感が出る。子供の名前の画数の多さと、その両親のヤンキー率は比例するという、かわなべひろき独自の調査による結果とも無関係ではあるまい。そんなわけで、漢字界のヤンキーと言って差し支えないのが、画数の多い漢字となる。

 

最近巷であまり見かけなくなったヤンキーだけど、今でも学校によって不良生徒は一定数いるのでは。荒れている学校もあれば、平和な学校もきっとあるでしょう。

これと同じで、漢字の世界におけるヤンキーの存在が明らかになった今、僕らひとりひとりの名前にも荒れているのと、そうでないのがありそうなもの。

 

例えば僕。漢字で「川邊大紀」と書く。「邊」はそこそこのヤンチャぶりだけど、それでも大した迫力は感じさせない。

「紀」は、不良になりきれない不良かぶれといった風情で、夏休み期間中に先生にバレないように髪を染めるくらいが精一杯のタイプ。

「川」と「大」は進学コースの優等生っぷり。性格も素直で、二言目には皮肉を吐く偏屈した頭脳派とは異なる。というわけで決して荒れているとは言い難い名前の「川邊大紀」と結論がつく。ごく一般的な平和さ。

 

この文脈で、めちゃめちゃ「荒れている名前」を積極的に探していくと、江戸時代の絵師(画家)にその持ち主が多いことに気づく。以下、思いつくまま何人かテキトーに挙げてみる。

狩野探幽(かのう たんゆう)

曾我蕭白(そが しょうはく)

河鍋暁斎(かわなべ きょうさい)

葛飾北斎(かつしか ほくさい)

俵屋宗達(たわらや そうたつ)

与謝蕪村(よさ ぶそん)

こわ…。コワモテすぎる…。各人、相当な荒れっぷりじゃないか。名前の治安がまるでデトロイトシティじゃないか。エミネムのラップが聞こえる。鳴り止まぬパトカーのサイレンに時折聞こえる銃声。バキューン…。

まさかこういった形で、江戸時代の絵師とデトロイトシティつなぐ架け橋が存在するとは誰が想像し得たか。否!するまい。



カラリと揚がった天麩羅を一口。サクッと軽い音を立てた次の瞬間、だしの効いた天つゆの香りに舌先が包まれる。このうまさたるや、暴力的と言っていいほど…。まるでデトロ…もうええて。


では、今日はこの辺で。


かわなべひろき
(1983年うまれ 美容師、在宅系音楽家、セルフ朝礼家)
Twitter https://twitter.com/kawanabehiroki
ブログ http://kawanabehiroki.hatenablog.com/
音楽 https://m.soundcloud.com/kawanabehiroki
勤務先美容室 https://mekashiya.amebaownd.com/



 

星ー石井宏樹ー

山が稜線を連ねる辺鄙な町の夜と言う奴は、例えば俺、恩を無礼で返すような、下品下劣の権化であるこんな男に対してでさえ、その暗幕に沢山の星を用意してくれる。

市町村合併により町の名称が変わったが、川辺郡坊津町、今で言う、南さつま市坊津町の山奥にある小さな集落で育った俺にとって、皆が当たり前に見るコンクリートのビルや、信号機さえも、小学生高学年になる頃までは馴染みがなかった。大抵の人は少年時代、科学の授業で星座の学習があったと思う。俺は当時、川縁に落ちているシワと砂利にまみれたエロ本に興味が集中しており、思春期産業街道を順調に大驀進していた為、大人になった今、頭上の星の並びを見ても、どの星を結んで星座と呼んでよいのか皆目わからない。だが、県庁所在地近くに生家を構えた家庭で育ち、遊びに行くとなるとゲームセンターにプリクラを撮りに行く、と言った、所謂街っ子の人に比べると、俺は滅法多い個数の星をこの黒目に見てきた、と言う自信がある。

何故今回、俺が星の話を取り出したのかと言うと、理由を言うのは簡単なのだが、ここは一旦想像してほしい。恋仲の相手、意中の相手、つまり大きく括ると異性が「星を見るのが趣味と言うか、いや、趣味ってほどでもないんですけど、夜になるとつい上を見上げて星を眺めてしまうって言うか」みたいな事を何かのきっかけに話し出したとしよう。二割程度、増して清麗清楚な印象を抱かないだろうか。好きな異性が何に興味があるか、と言う部分は価値観に通ずる大切な部分な為「星が好き」と言う内容の話は、清潔感を与えると同時に、ミステリアスな印象をも含んだ、良い距離感を保ちつつ、且つ自分に好意を寄せさすには、非常に良い塩梅の、手軽にお洒落なトピックなのである。

話を戻そう。何故今回、俺が星の話を取り出したのか、と言う話だったが、単刀直入に言う。今回、俺は星の話を取り出して「かっこいい」「頭良さそう」「不思議な人」「もっと知りたい」と思われたかったのである。いや、これでもまだ遠回りな言い方だった。更に端的に言うと「モテたい」と思い、星の話を取り出したのだ。俺はたかがブログにも、モテたい、と言う願望を預けるほどの下品下劣な男である。正直に言おう、星なんてどうでもいい。

石井宏樹 Ishii Kouki

1990年生まれ。鹿児島のソングライター。 自宅で一人、iOS版garage bandで録音した楽曲をサウンドクラウド公開していた所、地元のソングライターに見つかってしまい、外の世界へ引っ張り出されてしまう。2017年1月に初ライブを行って以降は柄にも無く精力的に楽曲制作、ライブ活動を継続し、まんまと今日に至っている。

Twitter: http://twitter.com/ISHII_KGSM

生姜 ーかわなべひろきー

毎朝のように嫁さんの朝食の支度で、生姜をすりおろしている。飲食業従事者を除くと、鹿児島市で僕より生姜をすりおろしている人はそういないのではなかろうか、とさえ思う。妖怪生姜骸骨とは僕のことである。

 

子供の頃受けた衝撃の1つにジンジャーエールが生姜のジュースだと知った時のこと。みんなもそんなことなかった?僕は最初信じられなかった。だってあの、刺身とか冷奴とかにつける(当時の僕にとって)辛い薬味がだよ?それがこんなにシュワシュワーっとして甘くて清涼感のある炭酸飲料に化けるなんて、天と地がひっくり返るような心持ちだった。ジンジャーエールの味の中に生姜性を全く感じ取れなかった。なんやねん生姜性て。


 母親に何度も聞いた。「ジンジャーエールに使われる生姜ってあの生姜なの?え?ほんとに?」涼しい顔で「そう。あの生姜よ。本当よ。」と答える母親。んなわけあるかーい!と、受け入れがたい事実に困惑の僕。

 

同じものの信じがたいほど異なった化け方に驚かされる、いわゆる「ジンジャーサプライズ」は他にもある。

1つの典型として僕の中では「タモリさん」が挙げられる。30年にも渡り茶の間を賑わせ、惜しまれつつも幕引きとなった「いいとも」。少年時代の僕は、週末の増刊号にかじりついたもの。腹よじれるほど笑わせてもらった。今でもだけど、タモリさん本当に大好き。


そして、同じタモリさんの「世にも奇妙な物語」。初めて見た時、いいともの時と全く違う雰囲気のタモリさんに、少年時代の僕は戦慄した。「これが、あの、いいとものタモリなのか!なんでこんなに怖くなれるの!本当に同じ人?え?」みたいな、お昼に見せる顔とのギャップにそれこそ心中にジンジャーサプライズが発動したもの。


ギャップって、人の心にすんごい刺さる。記憶にも残る。いかにも人の良さそうな人より、見た目めちゃくちゃ不良が道でゴミ拾ってた方が、心動くことない?そうゆうこと。プラスのギャップがある人はモテるとも聞く。


人生にはモテ期が3回くると聞いたことがある。僕はモテ続けて34年なので、1回目がまだ終わってないとこなんだけど、モテたい読者諸君におかれては、なんとかこのギャップを有効活用しつつ、ジンジャーサプライズの渦で異性のハートをかっさらうと良いでしょう。(あれ?最後の方書いててなんか涙が出てきたぞ…)


では、今日はこの辺で。


かわなべひろき
(1983年うまれ 美容師、在宅系音楽家、セルフ朝礼家)
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褒める ーかわなべひろきー

よく人から「お前はなんでも褒めすぎ」とか「褒め上手」とか言われる。だって僕から見て、スゴイな!とか面白いな!と思うような人とばかり普段過ごしてるから僕。そーやって生活してると敢えてそうしようとしなくても、口から出る言葉は自然と褒め言葉が多くなる。

 

僕、元々とてつもなく不遜で思い上がりはなはだしい人間だった。24歳で人生に挫折するまでに多分一生分、人の悪口とか、こき下ろすようなこと言ったと思う。本当、恥ずかしい話、自分の価値観の外にあるもの全否定して、バカにしまくってた。口も滅茶苦茶悪かって二言目には「クソだな」とか言って、人はそんな自分の人生の一部をこう呼ぶのでしょう。「黒歴史」と。

中身ないのに悟ったフリばっかで、ろくに経験もしてないくせに本で得た知識ばっかり語って、イタさ全開。傷つけた人たち、迷惑かけた人たち、不快な思いさせた人たち、本当にごめんチャイチャイよ。

 

そんな僕も、24歳で人生に挫折して4年くらいほとんど毎日死ぬことばっか考えてた時代に色々わかってきて。ド鬱になりつつも仕事だけは行っててギリギリ社会と繋がってた。その日々の中で「自分みたいな人間にも人は優しいなぁ」とか、「人に貢献できたときって嬉しいなぁ」とか、そーゆうシンプルなことに気づいて、人に心から感謝できるように少しずつだけどなっていった。

「人は一人では生きていけない」、言い方変えると「生きていくことって人ありきなんだ」。そんな本で何度も読んだような使い古された言葉の理解を、自分の経験で獲得したのはその時が初めてだった。だったら、自分にとって面白い人が周りにたくさんいた方が、もっともっと楽しくなるんじゃないか、って。


それが悪いことだとは思わないけど、たまにならいいけどいつもいつも口を開けば愚痴や他人の噂、損得や利害でしか人を見ていないような人といると(なんか疲れるなぁ)って自分がいて、そうゆう時間とは距離を置いてきた。そうしてたら、スゴイな!とか面白いな!って思うような魅力的な人が自然と周りに残るし、増える。


だから、周りの人に言いたいこと言ってたら結果それが褒める内容になってしまってるってのが、正しい順序。「僕にこれ以上褒めさせないでくれよ君たち!」と周りに言った所で、彼(彼女)たちの魅力が僕にそれを許さないのよオーマイガー。

 

それに、「やる気」だって褒められた方が出るじゃない。ダメ出しされるより褒められた方がもっと頑張ろう、やったろうって何倍も思うじゃない。(僕の場合はの話だから、異議は全面的に認める!)

だから、例えば好きな友達のアーティストにも伝えられる限り伝える。あなたの曲のこの部分がとても素晴らしくて好きですと。ファンとしてはもっと良い曲たくさん聞かせて欲しいじゃんね。やる気になってどんどん量産してくれたらこっちも楽しみ増えるし嬉しいじゃんねオーマイリルガー。


人生の闇の時代に気づいた「人に貢献できた時って自分も嬉しい」の一番身近な例の1つが、「褒めること」なんじゃないの?とも思う。だって「あなたのここは素晴らしいよ」って伝えるとほとんどの人が喜んでくれる。それってもう立派な人さまへの貢献じゃない。喜んでもらえたら自分も嬉しいじゃない。嬉しいが嬉しいを呼ぶじゃない。論調波田陽区みたいじゃない。


「褒め上手」とか「なんでも褒めすぎ」とかよく言われる僕ですが、そーゆうことなんで。

じゃ、今日はこの辺で。


かわなべひろき
(1983年うまれ 美容師、在宅系音楽家、セルフ朝礼家)
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四畳半 ー島崎清大ー


漠然、何もせぬ毎日を送っている。


アイマスク越しの世界から目覚め、

項垂れた焦燥と、

抜けかけの眠剤からの気怠さを引き連れ、

粉コーヒーを水で溶かし、氷を入れ、

指で、グルグルとかき混ぜ、最後に牛乳で割る。


できたての茶色い飲み物を飲むわけでもなく、

ただただ、それを数分と見つめた後、

日光が漸く、目に入り、我に返る。

そして、それを、ちびちびと、飲みだす。


嗚呼、今日も、また外に出る気がしない。


よって、

テレビを付け、ゲーム機を起動し、

シュミレーションゲームに精を出す。


我は信長なりぞ。戦のない世界を目指し、

全てを統治し、天下を布武するのだ。

さぁ、今こそだ。兵を挙げろ。


飽きる。すぐ飽きる。また飽きる。


すると、

昨日と同じように、同じ大きさで襲いくる

鬱屈とした感情を、猥褻な思想で押し殺し、

半ば自分を呪うかのような面持ちで、

夜が来るのを待つ。来なければアイマスク。


アイマスク イズ デンジャラス

アイマスク イズ ワンダフル


暗い部屋は落ち着く。


四畳半の隅で縮こまりながら、

誰の為にもならぬ雑文を手記する。


幸あれ、民。





島崎清大(1992.05.09〜)

その日暮らし というバンドで

Gt.Voを担当している。

珈琲と純文学とファズとゲームが好き。


-その日暮らし-

鹿児島を中心に全国を津々浦々と、

生と死の観念だけを基に活動している。


@

youtube:https://www.youtube.com/channel/UCYSoLtfkg9Y0OWsgurT9tug

soundcloud:https://soundcloud.com/seidai_sonohi/zvoudteu9a4k

Mail:s.seidai0509@gmail.com



台所 ーかわなべひろきー

かつて日本には「男子台所に入るべからず」という時代があったそうな。今となっては考えられない。むしろ多くの女性が「なんならもっと入ってこいや」と男性の積極的な台所仕事への参加を欲しているのでは。

僕の1日には台所で過ごす時間が必ずある。嫌いじゃない、てか、むしろ好きだよ台所。先の時代に生まれなくて神様テンキュ。つまり「台所が好きな僕」は、そこそこの「ダイドコラー」と言える。

 

ダイドコラーとしての自分の始まりを思い返してみる。あれは20代も黄昏てきた頃、自分しか食べる人がいない夕飯を作っていたとき。いつものように、お野菜トントンお肉をジュージュー、たまにつまんで味見をチョチョイ。

かわなべひろき調べによれば、一人暮らしの男の自炊において「焼きそば」の出現率の高さと言えば、ギャルにおけるダメージヘアの出現率と同じで、言ってしまえば「ほぼ」である。
ほぼ毎晩のように、焼きそば。塩にするかソースにするかだけが、生きる選択肢。このセオリーに漏れることなく、僕の夕飯の焼きそば率の高さたるやだったんだけど、この日いつもと1つだけ違うことがあった。それは、「ビールを飲みながら作っていた」ということ。

 

それが、ダイドコラーとしての自我が芽生えた夜だった。料理における「ただ作る」と「ビールを飲みながら作る」この2つの間に隔たる壁の高さたるや。ビールやりながらつまみ食いしてほろ酔い気分て、サイコーよ。

「ビール」が料理を作ることそれ自体を、こんなにも愉快に彩ってくれるとは盲点だった僕。そのことを当時の仕事先の同僚に話すと、世間的にはこれを「キッチンドランカー」とか、「キッチンドリンカー」とか呼んでおり、それなりに市民権を得ている呼び方なんだと。僕が無知なだけだったみたい。

 

試しにこの呼称を検索してみると「アルコール依存性の主婦」と出てきてスマホをぶん投げそうになった。だれがアル中の主婦やコラ、と。アル中でもなければ主婦でもない僕は断じて「キッチンドランカー」などではない!

あれから数年。今や呼び方なんてそんなことはどうでもよく、毎日とは言わずも、休日の夕方や思い立ったとき、時計も見ずにビール(もちろん第3のビールな)片手の料理の時間。

台所がそれなりに好きな僕はダイドコラー。

 

今日はこの辺で…。


かわなべひろき
(1983うまれ  美容師、在宅系音楽家、セルフ朝礼家)
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カフェー石井宏樹ー

俺は普段、通い慣れたファミリーレストランへ行き食事をする時、テーブルに通されるなり、そこに備え付けられた企業名なのか、はたまたその器具の商品名なのかも知らず「ベルスター」と文字が刻印された文明を、如何にも間抜けを丸出しにした顔で一押し、偉そうに店員を呼びつけ、皮張りの椅子に踏ん反り返り足でも組んだ体勢で、自分の食う飯を作れと命令した挙句、飯を食った後の皿も片さずに帰るなどと言う、無礼を極め尽くした日常生活を送っている。

ある日、恋人でもなければ友達と呼べる仲でもない女と「カフェ」と呼ばれる店に飯を食いに行く事があった。当然、通い慣れたファミリーレストランとは違い、客層は主に女性で、心なしか飯の匂いとは違う匂いがして、家族連れですら小声で上品に喋る店内の雰囲気に、俺は勿論狼狽した。

メニューを開くと、筆記体のローマ字で書かれた言語が箇条書きにされていて読めなかった。ほんの今さっき「俺みたいな男が哺乳類を名乗ってすいませんでした」と天への陳謝の言葉が脳裏をよぎったばかりの俺にはあまりにも高すぎるハードルである。しかし、俺も伊達に二十七年も生きてきたわけではない。冷静にメニューを見返すと、筆記体で書かれたローマ字の横にカタカナで料理名が記載されている事に気付いた。どれも見た事も聞いた事もない料理名だが、恋人でもなければ友達と呼べる仲でもない女に、この程度の不安を悟られるわけにはいかない。俺は海産物を使った料理が出てくる予想を立てて「アクアパッツァ」を注文する事にした。

「お待ち致しました、アクアパッツァでございます」と、店員が持ってきた料理を目にして愕然とした。海産物を使った料理である事は読み通りだった。が、俺が直感的にアクアパッツァを目にした感想として、それは魚を吐瀉物で和えたものなのである。なんだ、ここは本当に日本なのか。一切食欲をそそられないアクアパッツァの容姿を見た、恋人でもなければ友達と呼べる仲でもない女が「美味しそう」と言ったので、俺は女に「そんなに美味しそうに見えるなら」と恩を押しつけるようにアクアパッツァを皿ごと差し出して、女に食ってもらった。ダメな男が真価を発揮した瞬間である。

しかし、俺のダメな部分によって、食いたくないものを食う、と言う事を回避した。この出来事は、普段の俺の無礼さを見兼ねた天が俺に与えた罰だった。俺は二度とアクアパッツァを注文する事はない。が、注文する際は気をつけてほしい。料金が発生する吐瀉物を目の前にして、貴方は食欲を保てるだろうか。アクアパッツァを諦めた晩、通い慣れたファミリーレストランで食った飯がいつもより美味しく感じた説明は必要ないだろう。

石井宏樹 Ishii Kouki 1990年生まれ。鹿児島のソングライター。 自宅で一人、iOS版garage bandで録音した楽曲をサウンドクラウド公開していた所、地元のソングライターに見つかってしまい、外の世界へ引っ張り出されてしまう。2017年1月に初ライブを行って以降は柄にも無く精力的に楽曲制作、ライブ活動を継続し、まんまと今日に至っている。 Twitter: http://twitter.com/ISHII_KGSM