書くだけ書いて、

かわなべひろき、石井宏樹、島崎清大、鹿児島のソングライター3人による雑文集

飛行機 ー石井宏樹ー

五月二日、時刻は二十時を二分経過した所だが、俺は今、飛行機に乗って東京へ向かっている。腐れ外道、家畜の肥溜め、炊いて三日目の米の様な俺が、道も標識もない自由な空にいて、何百キロと言う距離をもものの数時間あれば渡ってしまう便利な乗り物に乗っているだけで、生意気だと思う読者もいる事だろう。言わせてもらうならば、俺は貧乏なくせにおぼっちゃま気質であり、ゆとり教育と呼ばれる教育方針のど真ん中で少年期を過ごした様な男である。生意気でない方が不自然なのだ。今一度言うが、生意気だと思った読者がいたのなら、その感想は正しいが、そんな事言われずとも、思われずとも、俺は誰よりも先に自分が生意気な奴だと知っている。俺は生意気であるが故に、今、飛行機に乗っているのだ。

さて、無闇矢鱈に屁理屈、もはや屁を振りまくってしまったが、屁を振りまくりながら俺は屁と思った、いや、ふと思った。飛行機を頻繁に利用する場合の「頻繁」は、一体どのくらいの頻度利用するのであれば使ってよい言葉なのか、と言う事である。

俺は年間八回程度は飛行機に乗っている気がするが、八回とは果たして「頻繁」なのだろうか?もし、右隣でノートを取り出し、徐に何かを書き始めた彼が年間一度か二度利用する程度なら、彼にとっては、俺は頻繁に飛行機に乗っている事になるだろう。左隣のオジさんはどうだ、腕組みしながら目を閉じて睡眠を取っている姿、いかにも飛行機に慣れていなそうな雰囲気である。この推測だと、この三人の中で俺が一番飛行機を利用している事になるが、読者の中に、年間五十回も六十回も飛行機を利用してる人がいた場合、俺の八回など、たかが知れた回数であり、この程度で悦に浸っていては笑われてしまう。よって、俺はまだまだ頻繁に飛行機を利用していない、と言う意見で妥協しよう。これで文句があるなら一人あたり二文字だけ受け付ける事にしよう。

さて、勘の鋭い読者なら気付いたと思うが、俺は三つ座席がある真ん中に座っている。年間に八回も飛行機に乗っていれば、俺は何故真ん中に座っているのか。それは座席を指定しないからである。座席を指定しない理由は単純明快、面倒臭いのである。しかし、乗った瞬間に、あの時、搭乗予約する際の手間を省いた事を後悔する。窓際で外を眺めてでもいれば、フライト中、こんな異常者染みたクソにハエが集る駄文なんか認めちゃいない。座席を分かつこの肘つきの争いもしなくてよいのである。五月二日、時刻は二十時を三十八分経過した所だ。到着予定時刻は二十一時三十分。まだ一時間も、このモジモジしたスペースで過ごさなくてはならないと思うと、こめかみの何処かしらがブチ切れそうな気分だ。

石井宏樹

ソングライター